世界中で大麻が禁止されるプロセスは、一日で起こったのではなく、20世紀初頭から国際協定の影響を受けながら段階的に進行しました。
このプロセスを3つの主要な段階で要約できます。
世界的な禁止プロセスの主要な段階
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最初の国際的措置(1920年代)
大麻が世界的に管理され始めた最も重要な転換点は、1925年のジュネーブ国際アヘン条約です。
エジプトの提案
エジプト代表は、大麻(特にハシシ)が社会に与える悪影響を強調し、この条約に含めることを提案しました。
制限
この合意により、大麻は「医療および科学目的のみ」に使用できるようになり、その取引は国際的な管理下に置かれました。
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米国と「マリファナ課税法」(1937年)
世界的な禁止の波に最も影響を与えた出来事の一つが米国で起こりました。
ハリー・アンスリンガー
連邦麻薬局の長官であったハリー・アンスリンガーは、大麻を「暴力を引き起こす危険な麻薬」として描写する大規模なプロパガンダキャンペーンを開始しました。
1937年の法律
「Marihuana Tax Act」(マリファナ課税法)により、大麻の使用は直接禁止されませんでしたが、その使用を事実上不可能にするほどの重い税金と官僚的な障壁が課されました。このモデルは多くの国で採用されました。
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国連単一条約(1961年)
今日の世界的禁止の基盤を形成する最も包括的な文書は、1961年の国連麻薬に関する単一条約です。
世界基準
この条約により、大麻はヘロインやコカインのような物質とともに、「最も危険で医療価値がない/ほとんどない」物質のカテゴリー(付表IV)に分類されました。
加盟国の義務
署名国は、大麻の恣意的な使用および生産を完全に禁止することを約束しました。
大麻を禁止するプロセスにおける国家のアプローチは、健康だけを目的としたものではありませんでした。このプロセスには、社会的、経済的、政治的な懸念が絡み合っていました。大麻が「危険」とレッテルを貼られた主な根拠は、以下の通りです。
大麻禁止の理由
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社会秩序と「道徳的退廃」への恐れ
20世紀初頭、多くの国家が大麻が社会の道徳的価値を損なうと主張していました。
労働力損失
産業化社会では、大麻が人々を「怠惰」や「無関心」に導き、結果として経済生産性を低下させると主張されました。
犯罪との関連付け
特に米国では、大麻が人々を制御不能な怒りに駆り立て、「狂気」を引き起こし、暴力犯罪(殺人、強姦など)につながるという集中的なプロパガンダが行われました。
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政治的および人種的懸念
禁止の背後にある最も暗い理由の一つは、大麻が特定の少数民族グループと同一視されたことでした。
移民排斥
米国におけるメキシコ系移民、そしてヨーロッパや中東における植民地支配下の民族による大麻の使用は、これらのグループを「危険」で「犯罪傾向がある」と描写するための手段として利用されました。
統制メカニズム
大麻を禁止することは、国家に少数民族グループや反体制派(例:1960年代の反戦ヒッピー運動)をより容易に統制し逮捕する権限を与えました。
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医学的および心理的懸念
当時の医学界は、大麻の長期的な影響について十分なデータを持っていませんでしたが、いくつかの深刻な主張を提起しました。
「精神疾患」のリスク
大麻が「一時的な精神病」または恒久的な統合失調症を引き起こすという報告が発表されました。
ゲートウェー理論
大麻が、ユーザーを時間とともにヘロインやコカインのような、より「ハードな」麻薬へと向かわせると信じられていました。
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経済的利益(産業競争)
特に米国の例では、産業用ヘンプ(大麻の非麻薬性品種)が繊維、紙、プラスチック産業で他に類を見ない地位にあったことが、一部の巨大企業を悩ませました。
紙・合成繊維ロビー
森林製品から紙を生産し、合成繊維(ナイロン)を販売する大企業が、ヘンプ生産を排除するために大麻の「危険な麻薬」というイメージを支持したことは、頻繁に議論されるテーマです。

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